エタノール「シュッシュッ」キムワイプ「サッ」ミリQ「ドゥルルルルル・・・」←おまえら何なの?

彼はこれまで生物学とはほぼ無縁の生活をしてきたが,一念発起して生物系,それも実験系の研究室に所属することに決めた.彼が読んだ新書によると近年の生物学における進歩は目覚ましく,彼の妄想は現実のものとなるかもしれないと考えたのである.そして彼は先輩から実験手技を習っていた.

「まずは消毒な.霧吹きでエタノールを机に吹き付けてキムワイプで拭く.ほんで実験で使う器具もエタノールを吹き付けて乾くまで放置.」
「おお!今から実験するぞって感じですね.これで細菌が全部死ぬんすか?」
「まあそのための消毒やからな.」
「なるほど確かに.菌って空中からは来ないんですか?こうやって放置している間に埃みたいについてきたりとか.そもそもエタノールでありとあらゆる細菌が死ぬもんなんですか?こんなシュッシュしただけで.」
「う~ん…そういうふうに考えたことはなかったな.まあそんなに厳密にやらなくてもこの実験はできるで.」
「あー…そうっすか.(ほななんで消毒すんねん)」
「まあいいわ.次はこのちっさいビーカーに水をいれます.実験やるうえで水っていうたら超純水やから気いつけてな.」
「ああ.あのミリQっていう装置から出てくるウルトラピュアなH2Oのことですよね.いっつもそのノズルつきのボトルに入れて使ってるんですか?」
「そうそう.なくなったらまた入れといてな.」
「了解です.ミリQってそんなボトルに長時間入れといてもウルトラピュアなままなんですか?」
「たぶんそうなんちゃう?そこまで考えたことなかったけど.」
「ウィッス(この人に聞いても全然わからん…)」



実際にこんな話があったわけではないし,この会話の発言は全て正しいとは限らない.だが,多くの実験系の研究室の学生は,教わった細かな手順が厳密にどのような効果を持つのか把握していないのではないだろうか?実際にはこの会話の先輩のように疑問にも思わなかった人が大半で,その他は彼のように心に疑問を抱えながら実験をしているのであろう.私もそういうその他少数の一人であるが,研究成果への圧力に抗ってこれらの疑問を解決すべく模索している.

そういう訳で,図解入門 よくわかる最新抗菌と殺菌の基本と仕組みという本を読んでいた.実験室における殺菌,消毒というよりは一般的な殺菌のしくみであるとか抗菌製品の原理についての本であったが,なかなかためになった.

まず今まで知らなかったのが種々の○菌という言葉の定義である.対象の微生物を全部殺す,あるいは除去することは滅菌といい,殺菌と言うと殺すにしても全てとは限らなくなる.また消毒という言葉は病原性微生物の殺菌である.つまりコンタミを気にするような実験では病原性微生物に限らず邪魔な菌を殺すことが必要であろうから,その場合は消毒と言うよりは殺菌と言う言葉の方が適しているだろう.ついでに言うと,この分野では殺滅という言葉も使われるようである.過酢酸の効果に「35%濃度では,すべての微生物を30秒で殺滅」と書かれておりなんとなく過酢酸にかっこよさを感じてしまった.

実験室との関連を感じたのは「除菌」の基準についての部分である.一時期抗菌だの除菌だのを謳い文句にした粗悪な品質の製品が溢れたのを境に,最近では基準となる試験を通過した製品が「除菌」書けるようになっているらしい.例えば除菌ウェットワイパーと言うためには,150gの重さで5往復拭いて残った菌が,除菌効果のない布で試験した場合よりも2桁以上減っていなくてはならない.ドラッグストアでよく見かける除菌ウェットワイパーはたいていアルコールが使われている(と思う)が,ここから類推するにエタノールキムワイプで机を拭くのもこれくらいの効果があるのではないかと考えられる.また,CELAという次亜塩素酸水の商品ページでは,除菌試験効果としてCELAで湿らせたキムワイプで拭いた机と拭いていない机に寒天を押し当てて培養し,CELAではコロニー形成が見られないという結果が示されている.ただ,他の実験結果では並列してアルコールによる結果とも比較しているのに対してこの実験結果はCELAと無処理群との比較になっている.実はアルコールでもなかなか効果があるのではないだろうか?

さらに殺菌,除菌について知りたい方は何かしら本を参考にしていただくとして,超純水についても少し書いておこう.超純水に関しては超純水超入門という日本ミリポア社が編集した本が出版されており,さすがというべきかかなり詳しい.

この本によるとやはり超純水は使用直前に採水するのが原則であることがはっきりと示されている.水の純粋さは比抵抗によって表され,超純水では18.2MΩ・cmに達する.しかし採水直後から二酸化炭素などが溶け込むため,比抵抗は急激に減少し,10分後には10MΩ・cmに,60分後には4MΩ・cmに減少する.Wikipediaによると比抵抗1~10MΩ・cmの水は純水と呼ばれるので,使用時間によっては超純水というより純水であると認識した方がよいだろう.他にも,超純水に指をつけてしまった場合にどんなイオンがどれくらい混ざってしまうかであるとか,ガラス電極では実は超純水のpHを図ることができないこと(ガラス電極でpHを測定するには十分な導電率が必要)などがデータで示されている.

実験手技の伝達ではしばしば定性的な説明がなされがちであるが,このようなしっかりしたデータがあると大いに参考になる.まあ,そんなに気になるなら自分でやれよという話であるが.